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夏の嵐
橘 透愛 07

「あ、ぁあ、ァっ……は、ぅ……っ」

 最後の一滴まで絞りだすよう扱かれ続け、ぴゅっぴゅっと、断続的に吐き出してしまった。たらたらと零れたものが、姫宮の長い指を伝い茂みに垂れてくる。
 ひんやりとして気持ちいい。

「はっ、はぁ、や、あぁ……で、ちゃ……ぁ」
「……橘」

 姫宮の喉ぼとけがごくりと上下した。
 急いたよう二の腕をわし掴みにされ、大股でベッドの上に引き倒される。

「おわ!」

 背中がベッドの上でグラインドする。

「おまえな、急にっ──」
「どうする、橘」

 ぎしりとベッドが軋み、姫宮が覆い被さってきた。

「どうする、って」
「君の体のことだ、君が決めていい。僕はそれに従おう」
「……透貴が、帰ってくる」
「そう。まぁ無理強いするつもりはないけれど……」
「んっ」

 汗ばんだ腿裏を、つうっと爪で軽く撫でられ、まだ触れられてもいない後孔がくぷっと窄まる。

「その場合、君の体は火照ったままになってしまうね」

 ズルい男だ。
 ここまでされて、今更抵抗心なんて残っているはずがないのに。だって押し返そうと突き出した手は、既に彼の肩に添えるだけになっている。
 それを把握しておきながら、権限を俺に委ねようとしてくるなんて。

「おまえマジで、性格、悪い」

 垂れた髪を耳にかける余裕さえ見せてくるのだ、この男は。
 いっそのこと有無を言わさず襲ってくれたら楽なのに……あの時みたいに。

「今更? 途中で嫌になったら、僕を蹴っ飛ばせばいいよ」

 できるかよ、バカ。

「電話、させてくれ」

 長い時間をかけて、消え入りそうな声でそれだけを伝える。誰にとは言わなくとも、姫宮には伝わる。一旦上体を起こして離れた姫宮が、テーブルの上に置いてあったスマホを手渡してきくれた。

「……さんきゅ」

 帰ってきた時に、透貴と姫宮が鉢合わせるといろいろとマズイ。
 それに、兄にはこんな光景見られたくはない。

「橘」
「なに」
「ゴムは?」
「……そこの、棚ン中」

 ──いたたまれないことこの上ない。
 棚から避妊具を取り出す姫宮から視線を外して、カチ、とスリープ状態になっていた画面を起動し、買い物中であろう兄に電話をかける。
 いつものように、3コール目で出てくれた。

《はい。どうかしましたか?》
「……透貴、今、どこにいる?」
《いつものスーパーです。今日はお買い得で……あっそうそう、今夜は透愛の大好きなビーフシチューにしようと思ってるんです。まだ大学ですか?》
「あの、さ」

 言い淀んでいると、明るかった透貴の声が切羽詰まったものへと変わる。

《どうかしましたか、何かあったんですか》
「あ、違うよ……ただちょっと、その、俺さ、もう家に帰ってて」
《え?》
「それで、その、ひ……姫宮が家に来てんだ」
《……》
「俺、ちょっと今朝から体がしんどくて……だから、さ……」

 沈黙が、痛い。
 電話越しの透貴がどんな顔をしているか、手に取るようにわかるから。

《──そう、ですか。わかりました。私の方もまだ用事が残っているので、そちらを済ませてから帰ります。6時前には家に着くようにします》
「うん、ありがと」
《それでもまだ、かかるようであれば、電話してください》
「わかった。ごめんな、ホントに」
《透愛が謝ることじゃないですよ。じゃあ、また》

 透貴の方から、電話を切ってくれた。用事があるというのは優しい嘘だろう。きっと、カフェかどこかで時間を潰してくるに違いない。
 申し訳なさもあるが、それを上回るほどの熱がもはやどうしようもない。
 吐く息が、こんなにも熱い。己の性には、抗えない。

「何時頃?」

 シャツのボタンを片手で外し、するりと服を脱ぎながら姫宮が問いかけてくる。姫宮も細身でスラっとした体格なのだが、脱ぐとほどよく厚みがあり筋肉も引き締まっている。
 動物で例えるなら、チーターみたいだ。
 美しい曲線を描く、雄々しい体躯から目が逸らせなくなる。
 ごくりと、喉が上下した。

「……ろくじ、って」
「そう、あと三時間はあるね」

 ベッドを軋ませながら、姫宮が上に乗っかってくる。
 持っていたスマホがするりと引き抜かれ、ことりとサイドテーブルに置かれた。
 目だけで、それを追う。
 半脱げだった下を全て引き抜かれ、足を開かされた。姫宮がぴっとゴムの袋を歯で開け、慣れた手つきで装着する。こんな開け方で一度も失敗したことがないのだから器用なものだ。
 手の行き場がなくて、唇を無意味に指で押さえる。
 まだ触れられてもいないというのに、期待するようにひくひくと、濡れそぼった後孔が開閉していた。
 何度も貫かれた子宮の奥の奥までもが、姫宮のカタチを覚えている。


 薄闇の中、見上げた額からぽたりと落ちてきた、冷えた汗の一滴すらも。


 今と同じように履かされたままだった靴下は白くて、同じく白いブリーフが足先に引っ掛かったままぶらぶら揺れていた。陶器のように白い姫宮の頬が赤く上気していた。中身が全部出てしまった二人分のランドセル、散らばった沢山のプリント。ひび割れた筆箱、転がり出た鉛筆、そして踏み付けられて折れた赤ペン。
 上履きは裏返しになっていて、マットはカビ臭くて、埃も舞い上がっていた。
 喉が渇き切って、声も掠れた。水筒の水も零れてしまった。
 どう猛さを湛えた目が爛々と濡れ光り、ぺろりと舌なめずりした姫宮が覆いかぶさってきた。
 誰も助けに来てくれない用具室で、2人きり。
 永遠に終わらないのかと怯えた地獄。
 それらの全てがいまだに瞼の裏に鮮明で──急に、暗闇に引きずられそうになった。

「ぁ……や、だ、や」
「──ばな、橘」
「ひ、いやだ、ヤっ、ダぁ……っ」
「橘!」

 いつのまに、姫宮に肩を揺さぶられていたのか。あちこちへと飛んでいた焦点が、はたと姫宮に戻る。
 腕を、姫宮に捕らえられていた。
 よくよく見ると、姫宮の頬に引っ掻かれたような傷があった。
 薄く伸びた赤い線は痛そうだ。
 ──これは、俺がやったのか?

「ひ、めみや……? あれ、おれ……おれ、は」

 今自分は、どこにいるんだろう。

「橘」

 殊更優しい声で、姫宮が俺の頬を撫ぜた。
 ちゅ、と目尻に吸い付かれたことで、泣いてしまっていたことにやっと気づいた。

「あ……ご、ごめ……おれ、おれ、また、おれ……」
「たちばな」

 肩で息をしていると、こつんと額を合わせられた。

「落ち着いて」

 俺がこうなると、姫宮はいつも俺が落ち着くまで、何度も何度も同じセリフを繰り返してくるのだ。

「……優しくする」

 その言葉通り、体を重ねる時姫宮は酷く丁寧に俺を抱く。どんなに俺のフェロモンに当てられていようが、その冷静さは崩れない。
 そして俺の淫らな要求に全て淡々と応えてくれる……全て、俺の望み通りに。

「優しくするよ」

 まるであの頃の自分を、ねじ伏せるかのように。

「う、ん……」

 痛くはしない。絶対に。
 そう続けられた言葉がじんわりと心の奥に染みこんできた。
 両手を姫宮の肩に持っていかれ、ゆっくりと、伺うように迫ってくる端正な顔。
 少し体温の低い唇が、重なってくる。怯えはそのまま、甘い性衝動に食まれ。

 俺は、姫宮から与えられる確かな熱に溺れた。




 避けようのない不幸な事故だった。
 コドモの、過ちだった。
 姫宮はあの日加害者になり、俺は被害者になった。そして俺は加害者になり、姫宮は被害者になった。

 俺たちの関係は、お互いのひとつぶの後悔と罪悪感。そんなものでできている。
 



 


 7年前の夏。
 姫宮にレイプされたあの日から。

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