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月に泣く
前篇》  闇市 02

 これは、出会いの物語。

 

 

 

 

 

 両手足には重い枷を付けられ、ついでに口枷まで嵌められて小汚い檻に突っ込まれてクズどもに品定めされていた空の晴れたある日。

 

 クズのなかでも最もクズみたいな男に金で買われた。

 まず、出会いからして最悪だった。

 リョウヤは一瞬でそいつのことが嫌いになったし、そいつもたぶん一瞬でリョウヤのことが嫌いになった。だからこそ躊躇なく道具として選ばれたのだろう。

 犯し、孕ませ、子を産ませたらあとは捨てるだけの道具として。

 

 まず、リョウヤが今いる世界はクソだ。腐っている。

 この世界には人(ひと)と忌人(いみびと)という二種類の『人間』がいて、忌人は性別関係なく膣を持ち、子を孕み、出産できる。

 人と忌人の見分け方はあまりにも簡単だ。

 まず、肌が黄を帯びていること。そして下腹部に特定の模様──陰紋と呼ばれるものだが──があるかどうかだ。もちろんリョウヤの下腹部にも流水模様の痣がある。この痣は皮下組織に深く根付いていて、皮膚をいくら削いでも削れることはなく、肌を何度炙ってもすぐに浮かんでくるえげつない代物だ。

 よって、この痣を持って生まれた者は死ぬまで、いや、死んでも忌人なのだ。

 また忌人は、肌の色や体格を除けば人とあまり大差ないというのに、劣等種、下等生物として扱われている。昔はもっと酷かったらしいが今でも十分酷い。忌人に人権なんてものは存在しない。よくて愛玩動物だ。

 忌人は人よりも線は細いが、足腰が強く体力もあるという理由で、枷を付けられた状態で奴隷として朝も昼も夜も夜中も働かされ続ける。名目上は召使いだが、その実ただの奴隷だった。

 また忌人の特性として、性交時に膣から催淫効果のある体液が溢れてくることが証明されている。つまり、人同士よりも忌人との交わりの方が快感を強く感じることができる。

 要は、具合がいいのだ。だからこそ、夜の性欲処理の穴として忌人は主人に召し抱えられ、時には客の相手もさせられる。

 忌人が、人との情事で妊娠する確立はかなり低い。また、子どもは例外を除いて必ず忌人として生まれる。それ故に、その子どもは奴隷として他家に譲渡され、売りに出される話が後を絶たない。

 負のループだ。忌人は文字通り、人に使われながら生きている。

 20年ほど前に、忌人にも人権を! と声高々に叫ぶ政治家や人権活動家が出て来た。その結果、忌人の人権保護を目的とした「忌人なんちゃら保護法」というのが施行されてはいるが、機能してない。それ以前に、忌人の人権保護を謳う政治家や人権活動家たちも、それとこれとは別だ、とばかりに忌人が働く娼館に足繁く通い、新たな奴隷を孕ますためにせっせと種を出しまくっているのが現状だ。

 依然として忌人は搾取され続けていて、ほとんどがろくな職にありつけない。貧民街などに身を寄せる忌人たちを攫う、「忌人狩り」も後を絶たない。

 現に、攫われ売られてきた忌人を売り買いする闇市というものもしっかり存在する。

 

 

 今、リョウヤが閉じ込められているところのように。

 

 

 

 

 

 

「はいはい、よってらっしゃい見てらっしゃい、上玉がたんと入荷しましたよ~!」

 

 悲惨なこの場にそぐわない呑気すぎるかけ声に、顔が歪む。

 リョウヤたちはれっきとした「人間」だというのに、これじゃあまるで取れたての野菜みたいじゃないか。

 

「そこのお方お目が高い! なんとこの忌人には四肢がありません。それも、その具合の良さのあまりかつての主人が切らせて使用し続けたとか……どうですか、ちょっと壊れてはいますがその分抵抗も致しません。刺激のない奥様との夜の営みの前に、これで気分を上げてみませんか?」

「こちらの双子は経験人数が豊富ですので、パーティーの前座として全員で使用できますよ」

「ああ、こちらの雌は様々な性癖の顧客用の接待としてお使いになれますが……おひとついかがでしょう」

「なに、使用人が足りなくなってきた? ならこちらのを数体購入なさいますか? これなんてどうでしょう、この逞しい体で3人の子を立て続けに孕み、立派に産み落とした雄の個体ですよ! まさに奇跡の胎です」

 

 おぞましさに怒りに打ち震える。ここにいる奴ら全員クズだ。

 石の塀が並び、鉄格子で囲われた檻と檻の間が、黒いカーテンで仕切られただけの野外の店。それらが立ち並ぶ中を、道楽を求める金持ち達が上質な革靴を鳴らしながら悠々と闊歩している。

 そして、檻に詰め込まれた忌人たちの中で気に入ったものがあれば、それぞれの檻の店主に声をかけては、忌人を引っ張り檻から出し体をまさぐりながら購入を検討していく。

 買い手の決まった忌人は購入者へと引き渡され、諦めと絶望に満ちた表情のまま馬車へと連れていかれる。3つ隣の檻では、小さな体をぷるぷると震わせる双子の少年少女に、「この子たちにしようかねぇ、雄と雌、それぞれ一体ずつほしかったんだよ。こんにちは、今日からは私が君たちのご主人様だよ。大丈夫さ、着る服も部屋も、美味しいものだっていっぱい食べさせてあげるからね」と、猫なで声をかける太った豚もいる。ごちゃごちゃした身なりからしてそれなりの金持ちなのだろうが、付き人と余興がどうのと言っている辺り、きっと人間としては扱われないだろう。見世物になるだけまだましだ。

 もちろん、品定めをされている忌人たちの中には、せめて人道的に扱われるようにと体をくねらせて色気や愛らしさを振りまいている者もいるが、それだって好きでやっていることじゃない。

 そうしなければ生きていけないのだ。人間らしくありたいと、皆が皆、必死だった。

 

 

「おい、店主」

 

 かつんと、ひと際上質な靴音が石畳に響き、空気が変わった。

 

「はい、ただいま……っと、こりゃあ、チェンバレー様のご子息、いや現当主様じゃないですか。この間は本当に、いや本当にありがとうございました。おかげ様でそちらから購入した絹織物が大変好評でして」

 

 男がすっと手を上げたのが、被せられた布の隙間からちらりと見えた。それだけの動作で、あれだけ口やかましかったガマ蛙にそっくりな店主が黙る。

 

「くだらん挨拶はいい」

 

 その一言で、かなり地位の高い男であることを察する。高圧的な声は威厳に満ちてはいたが、まだ若い。周囲の金持ち達も、突然現れた青年を遠巻きにしながら、チェンバレー家の……とざわざわしている。そこに込められている感情は尊敬と畏怖と、嫉妬だろうか。かなりの家柄の者らしい。

 チェンバレーなんて、いかにも貴族ったらしい嫌味な姓だ。

 

「は、はい、失礼いたしました。ええと、本日はどのようなご用件で」

「忌人を購入するために」

「なんと! 忌人嫌いで有名な旦那様が珍しいですねぇ。贈呈用でございますか?」

 

 贈呈用というのは、文字通り他家へとプレゼントとして送る忌人のことだ。その家の跡継ぎの性教育用として相手をさせる、ということも横行しているらしい。全く反吐が出る。

 

「壊れにくく孕みやすく、のちの処理に困らないものを一匹」

 

 ──こいつ最低だ。こんなクズばかりが集まる場所でも、「忌人なんちゃら保護法」が施行されている手前、屋敷に連れていくまでは忌人をそれなりに扱う輩が多いというのに、取り繕う気もないなんて。

 リョウヤは一瞬で、この男のことが嫌いになった。

 

「それでしたら丁度いいのが入っておりますよ。身目麗しく、太すぎず細すぎず体付きも良いものがおひとつ。まだ若く出産経験はありませんが、血統書によりますとこれの母親は最高で4人も生んだそうです! いやあ、忌人にしてはなかなかの逸材です。きっと母親の血を色濃く受け継いでいることでしょう。ここに連れてくるまでも従順でしたし、後の処理も困らないはずです。贈呈用としても申し分のない品質でございます」

 

 手のひらでごまをすりながら、ぺらぺらと口の臭そうなガマ蛙が説明を始めると同時に、斜め前の檻の中にいる子がガタガタと震え始めた。可哀想なほどに顔が蒼白だ。それもそうだろう、あの少年は未経験な上に、この店の中では一番身目麗しく、太すぎず細すぎず体付きも良く年頃もちょうどいいのだから。

 にやついたガマ蛙が少年へと近づき、檻が絶望的な音を立てて開けられた。美しい少年の瞳から涙が零れ落ちる。このままじゃあの子がこのヤバそうな青年に売られてしまう。

 3日前に、リョウヤが毛布を貸してあげたあの子が。

 

「う、ぅう、ウッ、ウゥー!!」

 

 口枷を強く噛み、犬のように唸りながら狭い檻に体当たりする。ガマ蛙の視線がリョウヤに向いたので、ガシャガシャと檻を揺らしてだいぶ激しい音を出した。すると、例の青年の靴先もこちらに向いた。

 

「店主、あれは?」

 

 よし、こっちに興味を示した。リョウヤの購入者は既に他に決まっているらしいので、買い取られるのは数日後だ。たとえ機嫌を損ねても売られることはないのでいい時間稼ぎになる。

 この状況であの子を助けることは、無理だ。

 だったらひと思いに頭突きでもかまして、忌人は危険なものだと思わせてやる。

 

「あ、の、あれ、というのは」

「不愉快な唸り声が聞こえる、別檻のあれだ」

「ああ、あれは……その、随分と反抗的でやかましい忌人でして、別の檻に入れて隔離しております。いやはや、数か月前に貧民街から仕入れたものなのですが、あまりにも醜いので買い手も見つからず売れ残っておりまして、はは……」

「見せろ」

「えっ、あ、あの!」

 

 ガマ蛙が静止するのも聞かず、こちらに向かって歩いてきた青年が目の前で立ち止まった。麻袋で顔を隠されているため青年からはリョウヤの顔はよく見えないだろうが、ここからはしっかりと見えた。

 ぬくもりも一切感じられない、凍てつくような赤い瞳が。

 

「あ、あのぅ、旦那様。この忌人は噛み付こうとするわ殴りかかってこようとするわで、扱いにも困っておりまして。なにしろ手足枷と口枷を嵌めても暴れまわるくらいですからね。麻袋を被せてもこの調子です。まだ体もしっかりと洗えておりませんし……いや、失礼致しました。あちらの檻にいる忌人の方がずっと従順で可愛らしく」

「これの麻袋をとれ」

「は?」

「早くしろ」

「いえあの、ですから……」

「ああ、そういえば、僕が一体どういった目的で忌人を買いにきたのかまだ話していなかったな」

「は?」

「僕が求めているのは贈呈用じゃない。孕み腹だ」

「そっ……れ、は」

 

 ガマ蛙の口数が少なくなり、これにはリョウヤも驚いた。

 孕み腹とは、つまるところ結婚相手だ。なぜ結婚かというと、結婚証明書を発行できない限り、人が忌人に生ませた子は私生児となり、正式な跡継ぎとして扱えないからだ。それは、忌人なんちゃら保護法によって定められている。表立っては忌人にも地位を引き継ぐ権利を持たせようという試みではあるが、実際のところ、忌人との間に出来た子を実子として扱わないようにさせるためのものである。

 忌人に孕ませた子どもを跡継ぎとして育てたい。人がそう望む理由は、ただ一つ。

 

「ここに入っている小汚いのは稀人(まれびと)だろう? 店主」

 

 青年の冷え切った一言に、ぞくりとする。「稀人」とは、忌人としてくくられてはいるが、ニホンという、ここではないどこか別の世界からやってきた人間のことを言う。

 一体どういう原理なのか、二ホンからこの世界へ転移すると、忌人と同じ陰紋が臍の下に浮かび上がり、本来であれば存在しないはずの膣と子宮が形成され、子を成せる体へと変化してしまう。

 つまり、忌人と同じ機能を持つ体となるのだ。

 忌人と稀人との見分け方は非常に簡単だ。一般的な忌人の髪と目は、オレンジに近い、明るく透けるような茶色だが、稀人のそれはどちらも黒だ。

 そして、麻袋で隠されたリョウヤの髪と目も真っ黒だ。

 

 そう。リョウヤは忌人であり、兄と同じく二ホンという異世界から転移してきた稀人でもあった。

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