top of page

夏の嵐
橘 透愛 03

「あいつ、お金持ちのα様ご用達の聖稜高校出身だろ? しかも進学校でもトップだったって話じゃん。あーあ、なに食ったらあんな顔になるんだよ。俺、同じ男でいいのかな」
「泣くな瀬戸」
「うぅ、綾瀬ぇ」
「寄んな瀬戸」
「おまえキャラブレすぎ。基本塩なの? それともデレなの?」
「いるんだなぁ、非の打ち所がない完璧人間って。あそこまで別格だと嫉妬の気持ちもわかないなぁ」
「あ、帝東大も受かってたって、上位で」
「マジ? なんでそっち蹴ってこんな三流大学通ってんだろ。滑り止めにしてもおかしいよなー医学部以外弱いし」
「んー……これは噂なんだけど、家を継ぐことが決まってるから本来なら大学に行く必要がなくて、たまたま実家に近かったのがここだったみたいな話を、聞いたことが……」
「なにそれ、御曹司による庶民の物見遊山?」

 頬杖をついた綾瀬の言い分もわかる。
 この大学は偏差値もそこまで高くないので、ここに通っている人間のほとんどがβだ。風間も綾瀬も瀬戸も、女子たちも。αは姫宮を含め数人しかいない。
 ましてやΩなんて。
 ここにいる全員、すぐそばにΩがいたとしても気付きもしないだろう。
 番を持たないΩのトレードマークでもある、首輪でも嵌めていない限り。

「でもさ、姫宮の彼女ってどんな子なんだろ。あんなに可愛い子たちに囲まれたらより取り見取りじゃんな」
「そういや、全然噂になんないなぁ……そもそもいるのか?」
「いないわけないだろ! あ、もしかして」

 ニヤっと笑った瀬戸が、声を低くした。

「Ωだったりしてー?」
「あはは、運命の番かぁ?」
「姫宮家の御曹司がΩと? 洒落になんね」

 くっだらないとばかりに、綾瀬が首を鳴らした。

「……そうそう、どーせαの美女とかなんじゃねぇの?」

 平静を装いつつ会話に混ざる。参考書をめくる手が、微かに震えてしまった。

「まぁ誰であったとしても、姫宮に選ばれるなんて幸せだろうなぁ。生涯安泰だ」
「人生勝ち組待ったなし?」
「はーあ、それに比べて俺らはよ」
「それはお前だけ」

 楽しいはずの友人たちの掛け合いに、どんどん目線が下がっていく。行き場のない感情が重く圧し掛かり、自然と首の後ろの皮膚が突っ張った。

「……ん?」

 ふと、風間が顔を上げて鼻を鳴らし、うーん? と首を傾げた。

「どした、風間さん」
「なんか、甘い匂いするなって」
「甘い匂い? 俺はしないけど」
「うん、そっち──橘の方からかな?」

 内心、ひやりとする。
 でも大丈夫だ、脳内で何度もシミュレーションしてきたんだから。
 バレたかと、いたずらが成功した子どものようにニヤリと笑ってみせる。

「あー、やっぱわかるか? 実は新しい香水使ってみてさぁ。いつものに重ねづけしてんの」
「へえ、爽やか系のおまえにしては意外だなぁ」
「だろー?」

 おっとりした風間の視線をしっかりと受け取り、表情筋を無理矢理動かし、「あはは」と笑みを深めた。

「兄貴の香水、内緒でパクったんだけどさぁ……気に入ったからしばらく使ってみようと思って。いーだろ?」
「へえ、俺兄貴の勝手に使ったらブン殴られっけど」
「あ、うん、綾瀬のにーちゃんの気持ちわかるわ俺」

 なんて言えば、ぱこんと綾瀬に頭を叩かれた。隣の隣から器用なことだ。

「そんなに違うか? 別にいつもと変わんねえと思うんだけど……」
「瀬戸は鼻つまりすぎ」
「チビすぎ」
「誰がチビだ、この金髪!」
「チビっつったの俺じゃねーし綾瀬だし! 冤罪だ冤罪」
「こーら綾瀬、どんなに思っててもそんなこと言うもんじゃないぞ」
「だーから風間さん、それ言ってる、言ってるって!」
「思ってるだけより口に出した方がよくない? なにごとも」
「うん綾瀬スマホ貸せ? 中庭に沈めてくるから」
「瀬戸は牛乳に浸ってこい」
「そうだ、間を取って今度みんなで乳頭温泉行くか!」

 キラキラとした顔で天然ボケをぶちかまし続ける風間に、綾瀬が真顔のままジュースをぶふぉっと吹き出し、瀬戸が「みんなしてさぁ!」と四肢をぐでっと投げ出した。綾瀬が零したジュースは風間が拭いている。
 いつも通りの掛け合いに、長めの襟足で隠した首の後ろを擦りながら、吐息だけで笑う。
 ネックレスが、ちゃりと爪にまとわりついた。
 実は風間以外の二人に指摘された通り、つけているのはいつもと同じ香水のみだった。それでもわかる人にはわかるのだろう。昨日から体調が怪しくて、多めにつけてはきたけどたぶん足りなかった。
 薄々そうじゃないかとは思ってはいたが、風間はやはりそっち寄りらしい。
 もっと気を付けて、隠し通さないと。
 友人たちとの何気ない日々が、心から大切なのだから。

 結局、勉強には集中できなくて。
 ぼうっとしたまま見当違いの部分を読み込みまくった結果、小テストはやらかした。

 *

 参考書をリュックに詰め込んでいると、「透愛」と階段を上がってきた小柄な女子に声をかけられた。

「あれ、由奈(ゆな)?」
「おはよっ」
「はよ。どした、次ここの教室か?」

 にこにこと明るく笑う少女は、来栖(くるす)由奈。
 ほんのり栗色の髪は肩に届くぐらいで、全体的にふわっとした見た目の女の子である。話しやすくて趣味も合うので、異性の中では一番仲がいいと言っても過言ではない相手だ。

「ううん、違うの。あのね……ちょっと透愛に、用があって」

 もじもじと珍しく言い淀む姿に嫌な予感がした。

「きょ、今日のお昼一緒に食べない? ふ、二人で。作り過ぎちゃったんだ、お弁当」

 嫌な予感は的中だ。
 くるんと上がったまつ毛の奥で、期待に満ちた眼差しを向けられた。
 へらりと、笑みを浮かべるのが数秒遅れる。

「……それ、全部炭なんじゃねぇ?」
「す、炭じゃないもんっ」

 くすんだピンク色のネイルがきらめく指が、ぎゅっとベージュのバッグを握る。きっと早起きして作ってきたに違いない。そう思うとずんと胸が重くなった。
 こういう時はいつも最悪な気分になる。自分が嫌で。

「あー、俺、今日弁当持ってきててさぁ」

 どうしたものかと、断る口実を必死に探していると。

「弁当同士テラスで食ってくれば? 昼の学食は席の取り合いになるし。なぁ綾瀬」
「同じく。別行動推奨」

 助け舟という名のお節介をかましてきた瀬戸と綾瀬。
 窓の外を眺めながら、「いい天気だなぁ、これならテラスもぽかぽかだろうなぁ」なんて呟いているあからさまな風間。
 全員に先手を打たれ、逃げ道を塞がれた。

「あー……うん。じゃあ食うか、一緒に」
「ほ、ホントに? よかったぁ」

 ぱぁっと嬉しそうな由奈に、苦いものがこみあげてくる。

「とりあえず、教室出よーぜ」
「あ、うん。そうだねっ」

 ここであからさまに彼女を拒めば、後々面倒なことになるだろう。どうしてと説明を求められても、適当にはぐらかせる自信はなかった。
 保身のために利用してしまった罪悪感が膨れ上がり、由奈の重そうなバッグをひょいと持ってやる。

「いいよ、参考書とかもいっぱい入ってるし」
「いいから貸せ。ただでさえおまえ生っ白いし細せーんだから、こんなもん持ってたら転ぶぞ……うわ重っ、おまえよくこれ持ってきたな!」

 兄からも、女性というのは繊細なんだから乱暴には扱ってはいけません、優しく接しましょうねと口酸っぱく言われているのだ。
 それに、自分の方が筋力はある。

「もぉ、そういうとこ……」
「ん?」
「なんでもない。ありがとっ」

 由奈と階段を降りていく。
 群がる女子、そして男たちの中心で、例の青年は相変わらず誰もが見惚れる微笑を浮かべたまま、周囲に相槌を打っていた。
 一歩一歩、階段を降りていく。奴を視界に入れないよう、あえて段差だけを見つめ続けた。しかし、会話は嫌でも耳に入ってくる。

「姫宮くん、今日の授業って3限までだよね。なら、午後からうちらと遊ばない?」
「ごめんね、今日はちょっと予定があるんだ。授業が終わったらすぐに家に帰らなきゃいけなくて……また誘ってくれる?」
「じゃあ今週の土曜は? クラブで飲むんだけど来ねえ?」
「僕、あまりお酒は強くないんだけど、それでもいいのかな?」
「なぁに言ってんだよ、姫宮がいなきゃ始まんねえって。なぁ」
「そうそう、姫宮くんが来たらみんな喜ぶよ?」
「そんなことないよ。買いかぶりすぎだって」

 キラキラとしたスマイル攻撃を受けた女子が、うぐ、と胸を抑えた。死屍累々だ。

「姫宮~、今度のバスケの練習試合なんだけどさ」
「ああ、もちろんお手伝いするよ、僕なんかでいいのなら喜んで」
「助かる~! 神様仏様姫宮王子さま!」
「あはは、大げさだなぁ」
「ちょっと浅海ぃ、あんた煙草臭いんだけど。姫宮くんに近寄らないで」
「臭いが移っちゃうでしょ。姫宮くんはそんなの吸わないんだからね?」
「そ、そっか、悪い姫宮」
「ううん、全然気付かなかったから気にしないで」

 姫宮の朗らかな笑みに、女子たちがきゃーっと頬を染める。

「ねぇ、姫宮くんってなんでそんなに優しいの?」
「ちょっと、抜け駆け禁止!」
「そうそう、姫宮くんはみんなの王子さまなんだから! あっそうだ、パーティーに来ない? 来週、大学生限定の集まりがあるの。ライブもあってね……」

 きゃっきゃ、わいわい、盛り上がる彼の横を通り過ぎた瞬間、視線が重なりかけた気がした。
 咄嗟に横を向いて由奈に話しかける。

「なぁ由奈、弁当にハンバーグ入ってる?」
「うん、入ってるよ! 透愛の好物ばっかり」
「よっしゃ」
「ほんとに好きだよねー」
「うまいじゃん、肉」
「男の子だなー」

 そのまま何事もなく前を通り過ぎようとしたら、ころんと転がってきた何かが靴先にぶつかった。

「──ああ、ごめんね、拾ってくれないかな? それ僕のペンなんだ」

 そんなの、言われなくてもわかってる。俺は、相手の顔も見ずに吐き捨てた。


「知るかよ。てめぇが拾え」


 我ながら随分と低い声が出たなと思った。思っていたより教室に俺の声が響いてしまい、ざわりと背後の空気が不穏気に揺れたが、どうでもよかった。

「えっ……ちょっと透愛?」
「いいから行くぞ、ほっとけそんなの」
「ほ、ほっとけって……ごっごめんね姫宮くん、はいこれっ」

 結局由奈が拾って渡したようだが、振り返る気なんぞさらさらないので足早にその場を後にする。

「……ヤバ、うける。僻み?」
「うっぜ、なにあの金髪、誰?」
「気にすんなよ、姫宮」
「そうだよ、あの人たぶん姫宮くんに嫉妬して……」


 言いたい放題言われていたが、決して振り返らなかった。

bottom of page